Saturday, August 15, 2009

やはり牛乳は新鮮さが一番

子供の食生活の基本は牛乳です。日本の子供たちも、フランスの子供たちも、アメリカの子供たちも毎食のように牛乳を飲んで栄養をつけます。ちなみに私自身は妊娠中や授乳中に一人で一日1リットルくらい牛乳を消費します。

フランスのスーパーに行くと、写真のように陳列されている大量の牛乳は常温で販売されていて、日本やアメリカから行くと一瞬違和感があります。これはUHT (ultra high temperature) 法という殺菌方法で処理されている牛乳を、気密性の高い容器に無菌的に充填する方法を用いているようで、なんと3ヵ月も常温保存できます。フランス周辺の国々ではほとんどの牛乳がこの方法で販売されています。

我が家では1リットルの牛乳が休日なら2日くらいでなくなるので、未開封で3ヵ月も常温保存できる牛乳ならまとめ買いができると当初は喜んでいました。そしてフランスで初めてスーパーに行ったときに予定通り6本まとめ買いし、これで2週間くらいは牛乳を買いに走らなくてもよいのだ!と思って早速1本冷蔵庫で冷やしました。

ところが、食事のときにその奇跡の牛乳を長男が一口飲んで、「まずっ!」(次男はごくごく飲んでいた)。そんなにまずいはずはないと思い私も飲んでみたら、なるほど今まで飲んでいたものとは違う…それでも6本もあるから数回飲んでいくうちに慣れるだろうと思って無理やり飲ませていました。

翌日も翌々日も長男から持続的なブーイングがあり、ついにこちらも断念。再びスーパーに出向くと、常温保存牛乳とは別の売り場にlait frais(新鮮な牛乳)と書かれた牛乳を見つけました。常温保存牛乳は写真のごとく種類豊富なのに、lait fraisは1種類だけ!レアものでした。これの味には長男も納得し、今では元通りに牛乳を飲むようになりました。

フランスでは日々牛乳を買いに走らなくてもよいのだ!という私の小さな夢は消え去りました。

Friday, August 14, 2009

夜更かし保育

昨晩はveillée(夜更かしという意味だと思う)というのがあり、子供たちは午前8時半に預けられてから午後9時まで保育所に行っていました(普段は午後7時まで)。先生たちが子供たちのために準備した催しがあるらしく、今日だけは夕食も提供されます。

少し早く迎えに行ったら先生方がピエロに変装して子供たちの前でショーをしていました。

フランスの保育、クセになりそうです...

Thursday, August 13, 2009

家庭に負担をかけない保育

フランスでは80%の家庭が共働きだそうです。結婚や出産などを機に女性が仕事をやめるのをなんとも思わない日本とは大きな違いです。親の女の子に対する期待・教育、女性の仕事に対する情熱、育児における実父母の関与比率、保育園事情など日仏間には様々な相違点があります。今日は保育園事情を取り上げたいと思います。

現在われわれがフランスで暮らしている町は小さな小さな町です。人口4713人、面積4.03平方キロメートル、パリ中心から電車で45分くらいのVeneux-Les-Sablonsという町です。

子どもたちが通う公立幼稚園・小学校は午前8時半から午後4時半までです。日本の幼稚園はもっと早く終わるところが多いようです。長男の学年が幼稚園進学の年齢を迎えたとき、私の周りには子供の幼稚園を優先するためにお母さんが仕事をやめるケースもありました。実際私も「幼稚園か?保育園か?」という選択を迫られました。午後5時前に終わる常勤医職はあり得ないので、当時我が家ではもちろん保育園を選択しました。

この町では午前7時から8時半までと、午後4時半から7時まで毎日幼稚園児と小学生の保育をしてくれます。日本ではたいてい小学校3年生までしか学童保育に入れませんが、この町では小学校5年生(小学校最高学年)まで入れてくれるようです。個々の家庭の月収によって午前中は一日2-3ユーロ、午後は3-5ユーロです。午前と午後それぞれにおやつがついてきます。

休みの多いフランスの学校。毎週水曜日および2か月に一回2週間程度の休みがあります。その多さに驚きますが、その休み中にも保育は対応してくれます。午前7時から午後7時までで、中学生まで面倒みてくれます。夕飯はつきませんが、午前のおやつ、昼食、午後のおやつは込みです。親の収入によって一日7ユーロから25ユーロくらいまでですが、家族内に子供が多ければ割引があります。

先日初めて子供たちを夏休み期間中の保育に預けてみました。お役所仕事の程度で有名なフランスとは思えないほど、事務手続きを効率よく済ませることができ、初日の先生方の対応も極めて良好でした。日本の保育士も質が高いと思っていましたが、やはり国の将来を担う子供たちを育てる人々は万国共通ですばらしい人たちが集まっているのだな、とあらためて感心しました。

これから子供たちがフランスの環境にもまれてどのように成長していくのかが楽しみになってきました。

Wednesday, August 12, 2009

生理用品とサランラップ

船便の到着が遅れていて仕方なくフランスで生理用品を購入しました。たったの1種類購入しただけですが、もう二度と買いたくありません。日本の生理用品は横モレこそあっても、ナプキンを通したモレ(貫通モレとでもいうのでしょうか)なんてしたことがありません。しかも日本のナプキンは横モレ防止のために羽つきが多いのですが、フランスに羽つきは少ないようです(ないかもしれません)。

また、初めは「過剰包装だな~」と思っていた日本のナプキンやタンポンの個装ですが、最近はそれに慣れてしまったようで、個装されていないフランスの生理用品がどうしてもハダカに見えてしまいます。

サランラップも日本のものの品質のよいことよいこと。日本のものは薄いのに破れない、なのに切れて欲しいところでピリっと切れてくれる。フランスのものは切りたくてものびのびになってうまく切れません。アメリカのサランラップの品質はちょうど中間くらいです。

というわけで、今回の渡仏の際にはINSEAD卒業生のブログを参考にサランラップと生理用品は日本から船便で送りました。

Tuesday, August 11, 2009

モンマルトルの丘も5歳児発案

サクレ・クール寺院があるモンマルトルの丘も5歳児のアイディアでいくことになりました。ノートルダムやモン・サン・ミッシェルに引き続き、彼はなぜこんなに宗教系が好きなのだろうか。

この日は初めて自宅から徒歩5分のところにあるMoret Veneux-Les-Sablons駅から電車でパリへ向かうことにしました。そして電車内の我が子たちはマナーの悪いこと悪いこと。スーパーに行っても、空港でも、電車内でも、ところ構わず地面に寝そべり大声を出し「戦いごっこ」を始めます。よほど親の教育が悪いのか…(がっくり)。日本でもフランスでも我が子ほど行儀の悪い子供たちはほとんど見たことがありません。どうしましょう。

Pigalle駅からサクレ・クール寺院まで連れていってくれるMonmartrainに乗り込みパリの街並みを見ながらモンマルトルの丘をのぼりました。サクレ・クールやテルトル広場を一周したのち、近くにあるダリ美術館に行きました。難しいことは分かりませんが、感性豊かな子供たちにダリのアートを見せるのは単純に反応が面白かったです。時計が溶けていたり、おばさんの頭にバゲットがのっていたり、象の足が妙に長かったり。3歳児がもう少し静かにできるようになったら、今度は一緒にオルセーに行ってみたいと思います。

ちなみに、我が家の5歳児がわりと文化的になった理由の一つには確実にアメリカの幼児教育テレビ、Little Einstein(0歳から2歳くらいまではBaby Einstein)が影響しています。これは有名なクラシック音楽や絵画などをアニメに盛り込んで小さな子供たちに自然に覚えさせています。まだ日本語吹き替えは出ていないと思いますが、英語で見せるのも悪くないですよ。

5歳児リクエストのモン・サン・ミッシェル

1泊2日でモン・サン・ミッシェル観光に行ってきました。この世界遺産の存在はもちろん知っていたのですが、観光に行くきっかけをつくってくれたのは我が家の5歳児でした。誰に似たのか、なかなか文化的な子供で、4月のフランス下見旅行の際にはディズニー映画「ノートルダムの鐘」に出てきたパリのノートルダムにのぼると言ったり、今回もフランス語教室でご褒美にもらうcarteに描かれたモン・サン・ミッシェルやサクレ・クールにぜひ行きたいと言い出しました。

途中でお昼ごはんを食べるためにTrouville-Sur-Merという港町に寄り、ガイドブックに掲載されていたレストランLes Vapeursでムール貝やシャブリを堪能したのち、同行している母(non-drinker)に後半を運転してもらって岩山にそびえる孤高の修道院にたどり着きました。車を降りて修道院までは徒歩で行くわけですが、その坂道はごくごく細い路地で歩いていくと左右にオモチャやお土産を売っているお店が並んでいます。混雑しているときは小さな子供二人を連れてそこを歩くのは至難のわざでした。

モン・サン・ミッシェルは歴史的な建造物以外に、潮の満ち引きを観察するのもなかなか面白かったです。「~時にはこの駐車場の車を移動しておくように」という看板があり、みるみるうちに海水が上がってくるのが分かりました。満潮の時間を計画的に下調べしていくと無駄なくクライマックスに出くわすことができそうです。

観光地はどこでもそうですが、モン・サン・ミッシェルもその例外ではなく、ご飯やおやつのお値段はかなりボラれています。高いだけなら良いのですが、サービスもモン・サン・ミッシェル内は最悪でした(おそらくフランス基準からしても)。昼食のために入った景色のよさそうなレストランでは日本語メニューがありました。料理に関しては日本語訳よりは英訳のほうがまともそうだったので、ウェイトレスに英語メニューをお願いしたら「アナタ日本人でしょう?!」と言われ持ってきてもらえませんでした(しかしそこで絶対に負けない私。別の店員に頼みすぐに持ってきてもらいました)。ちなみに全体的な味もたいしたことありませんでした。

今回の旅行で非常に役に立ったのが、Citroen C4 Grand Picassoの後部座席に標準装備されていたDVD画面です。子供たち2人に対して2つのスクリーンがあり、それぞれにヘッドホンを装着させておけば大人は静かに運転に集中できます。

このような文明の利器に頼るのもよいのですが、おかげで子供たちは窓越しの景色をほとんど見ないまま旅行を終えます。こんなことでよいのだろうか?我々が子供のときはどうやってドライブ旅行の暇つぶしをしたのだろうか?

Monday, August 10, 2009

グリーンカードを取り上げられて

私は1歳でアメリカに家族で渡っていて、自分の知らないうちにグリーンカード(permanent resident card)が手元にありました。そのグリーンカードは日本の大学に進んで数年経ってから空港で怖いおじさんたちに取り上げられました。当時父も私も知らなかったのですが、グリーンカード保持者は一定期間以上アメリカを離れてはいけない。今では常識的な情報ですが、そのときはその名の通り「permanent」なものなのかと勘違いしていました(ただの無知でしたね)。

というわけでタダの日本人になった私。その後アメリカ生まれの妹を通してグリーンカードを再申請しようと現在書類を提出していますが、10年以上かかるということです。あまり現実的ではないが、まあ、待つだけならいっか、程度の気持ちで待っています。

さて、今回ビジネススクールに受かった場合に申請する学生ビザですが、アメリカの場合は学業が修了したらアメリカを確実に離れる人にしか支給されないというウワサです。アメリカ在住の日本人弁護士さんに相談をしたら、確かにグリーンカード申請者には学生ビザが支給されない可能性があるとのこと。願書提出、面接、合格、学費納入をしてもビザ申請で断られたら悲しい….私はこの時点でアメリカのビジネススクールを目指すのは危険であると判断しました。

という経緯でフランスの学校に決めて無事合格しました。フランスは中学から大学まで言葉を勉強していた関係で比較的自分にとっては住みよい国です。ただし今回はパリでなく郊外、独身ではなく子連れ、大学中の語学留学ではなく社会人中断のMBA留学であり、いろいろな経験が積めそうです。